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2010年07月 アーカイブ

1930年代のアメリカ経済

フランクリン・デラノ・ローズベルト(FDR)は、1882年、ニューヨーク州ハドソン川流域の大地主で名門の家柄に生まれました。


セオドア・ローズベルトとは遠縁にあたります。


名門の子弟の型通りグロートン校、ハーバード大学、コロンビア大学法律大学院で教育を受けます。


政界入りは1910年、29歳のときニューヨーク州議会上院議員に当選してからです。


1912年、ウィルソン大統領のひきで海軍次官補に就任。


この時期にウィルソンと接して、リベラルとしての信念を強めています。


1920年の大統領選では副大統領候補に指名されましたが、共和党のハーディングに敗れました。


しかし翌21年に彼に不幸が起こります。


小児麻痺にかかって足が不自由となったからです。


彼はその後7年間の闘病生活においてその苦しみに耐え抜き、1928年に政界に復帰。


足は終生不自由でしたが、強じんな精神力でこれを補いました。


この年民主党のアル・スミスは大統領選でフーバーに敗れますが、ローズベルトはニューヨーク州知事に当選します。


2年後再選され、大統領候補に指名されました。


大恐慌の渦中における1932年の大統領選挙では勝敗は明白でした。


ローズベルトはフーバーの1600万票弱を大きく上回る2300万票をとり、圧倒的な勝利を収めます。

1930年代のアメリカ経済 2

ローズベルトの人気はおそらく前大統領の極端な不人気から来たのかもしれませんが、彼自身の人柄のなかに、現代政治家として人びとを惹きつける何ものかがあったことも事実でしょう。


暗い時期だっただけに求められた天性の陽気さ、無定見に近いまで特定のイデオロギーにこだわらぬ大胆さと幅の広さ。


適当な進歩性とうらはらな本能的な保守性、試行錯誤ながらたえず前向きのすばやい行動力。


社会の動向に対する敏感でソフトな対応、マス・メディア、とくにラジオによる大衆操作の抜け目なさ、右から左と多様な人材の意見をきく寛容と、これを組織する能力等々。


これらはいずれも現代政治家として、これまでの大統領になかった多様で柔軟な資質です。


同時に彼の一見芒洋としてつかみどころのないような明るい風貌は、同時代の数々のカリスマ的政治家ースターリン、ヒトラー、ムッソリーニ、ドゴールなどとは対照的で、アメリカを独裁的専制主義から救ったといえます。


ローズベルト新政権のもとに、全国から数多くの若き野心的俊秀が集まってきたのも、彼の人徳によるものであったでしょう。


彼らは「ブレイントラスト」として、あるいは行政官としてニューディールに献身的に仕え、多くの新機軸を法案に盛りこみ、革新の気風をワシントンに送りこみました。


ある歴史家は、


「これらの若い学者たちは、彼らと一緒にきびきびとした空気、鋭い感受性、権力欲、危機をかぎつける本能的な性などをワシントンに送りこんできたが、事実、これらが1930年代のワシントンの本質をなしたといってよい」


・・・と書いています。

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