1930年代のアメリカ経済 5
同じくNIRAによって設立されたPWA(公共事業庁)は、内務長官ハロルド・イッキーズがその長官を兼ねました。
PWAは30億ドルという巨額の予算をもって、新しい学校やハイウェイ建設などの公共事業によって創出される雇用に期待がかけられます。
しかし、イッキーズがその支出に慎重すぎて消極的だったため、あまり実効があがらず、1935年WPA(失業対策事業庁)が設定されるまで、救済計画は間に合わせ的なものでした。
これらニューディール政策とならんで重要であったのは、1933年4月における金本位制の停止と、翌34年1月における金準備法の制定。
これにより金1オンスは35ドルと、ほぼ41%のドル切り下げとなりました。
同時に国務長官コーデル・ハルは互恵通商協定法により、従来の高関税政策から関税切り下げへの転換をはかっています。
このため、大統領には50%の範囲で関税を変更する権限が与えられました。
これらの通貨ならびに通商上の措置により、ようやく輸出が拡大に向かい、金の流出は逆に流入に転じました。
しかも、アメリカは世界主要国がブロック経済体制に分裂してゆくのに対抗して、互恵通商条約の拡大により、西半球の経済圏を防衛することができたのです。
しかし、このことによって世界経済はますます亀裂を深め、アメリカの輸出増大も、おのずから限定されていきました。