1930年代のアメリカ経済 7
労働側はこの規定をテコにして、資本側も予期しなかった大規模な組合の組織活動を農開したのです。
その結果、労資紛争は急激に高まっていきました。
ストライキ件数でみると、それは1932年の852件から33年の1672件、34年の1817件へと次第にエスカレートしていきます。
このことは財界の政府への批判を強め、共和党はこれをチャンスとばかり、反ローズベルト派の民主党の一部も抱き込んで、反ニューディールの旗印をかかげました。
これにはGMやデュポンの財界指導者も参加。
「アメリカ自由連盟」がそれです。
ローズベルト政権への批判勢力は、こればかりではありません。
ルイジアナ州で独裁政治の腕力をふるう上院議員のヒューイ・ロング。
ラジオという、当時最も強力なコミュニケーションの手段を使って説教を行い、人気を集めていたアイルランド系カトリックの神父チャールズ・E・カフリン。
カリフォルニアで社会主義運動を起こしつつあった、小説『ジャングル』で有名なアプトン・シンクレア。
老人の福祉を要求して多くの支持者を西部諸州に持ったフランシス・タウンゼント・・・
彼らの運動なども、反政府色を強めていました。