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2010年10月 アーカイブ

1930年代のアメリカ経済 7

労働側はこの規定をテコにして、資本側も予期しなかった大規模な組合の組織活動を農開したのです。


その結果、労資紛争は急激に高まっていきました。


ストライキ件数でみると、それは1932年の852件から33年の1672件、34年の1817件へと次第にエスカレートしていきます。


このことは財界の政府への批判を強め、共和党はこれをチャンスとばかり、反ローズベルト派の民主党の一部も抱き込んで、反ニューディールの旗印をかかげました。


これにはGMやデュポンの財界指導者も参加。


「アメリカ自由連盟」がそれです。


ローズベルト政権への批判勢力は、こればかりではありません。


ルイジアナ州で独裁政治の腕力をふるう上院議員のヒューイ・ロング。


ラジオという、当時最も強力なコミュニケーションの手段を使って説教を行い、人気を集めていたアイルランド系カトリックの神父チャールズ・E・カフリン。


カリフォルニアで社会主義運動を起こしつつあった、小説『ジャングル』で有名なアプトン・シンクレア。


老人の福祉を要求して多くの支持者を西部諸州に持ったフランシス・タウンゼント・・・


彼らの運動なども、反政府色を強めていました。

1930年代のアメリカ経済 8

1935年に入って、翌年に迫る大統領選をにらみつつ、ローズベルトがいわゆる「第二次ニューディール」を展開しはじめたのも、こうした背景をむしろ自分に有利に取りこみ、利用しようとする、政治家としての彼のねらいであったということができます。


言いかえれば、「ローズベルトにとって、初期ニューディールに不満を抱くにいたった大衆の支持をあくまで確保して、デマゴーグ的政治家の社会的基盤を切り崩すとともに、右翼勢力に対抗するためには左翼分子をも含めた広範なニューディール派の連合戦線を形成することが1つの重大な政治的課題となったのです」。

ローズベルト個人の人気とともに、組織労働者を中核とする農民、黒人などを含む広範な支持層を味方にして、彼は「第二次ニューディール」に取り組みました。


まず手がけたのが社会保障制度です。


社会福祉政策は第一次ニューディールで欠けていた側面でしたし、高まりつつあった大衆の不満をかわすには最適でした。


現行の失業保険、老齢退職者年金保険などは、このとき定められました。


また福祉政策の一環として、失業対策も規模の点ばかりでなく、単に救済というより雇用の促進に重点がおかれた点は注目されました。


そのためにWPA(雇用促進局)が置かれ、ニューヨーク州知事当時以来ローズベルトが買っているパリー・ホプキンスが長官となりました。


ホプキンスのもとで2000以上の病院、5900の校舎、1000にのぼる空港滑走路、1万3000に近いグラウンドなどが建設されたり改修されました。


しかし、最も注目を浴びたのは道路建設で、同局総支出の4割近くがこれに充てられました。

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