ある男のつぶやき 5
他人の目に触れてはかわいそうだ、伸び伸び庭で遊ばせてやりたいと、家人が周囲に塀を巡らした。
それから一五年、今年突然塀をとりはずしていたのだ。
「奥さんがね、近所の人に『工事の音がしますがよろしく』と挨拶に見えたのですって。
その時に、奥さんが『子供が私を育ててくれました。
恥ずかしい親でした』とおっしゃったそうよ」ただ一度の人生で巡り合った親と子。
一家は人目を避け、障害を持つ子を必死に育ててきた。
多くの親のように運動会で走る子の姿も、試験の一〇〇点の成績表も、親は一度も目にしながったであろう。
子が将来、親に何かの見返りをしてくれることなど、期待していないし、できなかったにちがいない。
ただ、家族ぐるみできょう一日を乗り切ろうと、一五年間育ててきた。
恥も外聞も捨て、おそらく自分を捨てて、親はただ子に尽くして、尽くして生きた。
「そこに何を見たのだろう」男は、他人の不幸を見て、自分を慰め、ほかの子と比較してうちの子もまだましか、と安心するという世間一般の男である。
聖人でも君子でもない。
だがしかし、「塀をも溶かした親と子の力とは何だったのだろう。
親は子に何を見、何を学んだのであろう。
なんだか、自分の子が障害がなく健常なだけでも感謝しなきゃいけないんですがね。